従前マンション名称(供給元) |
曽根団地(日本住宅公団) |
所在地 |
大阪府豊中市曽根東町 |
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建替え前 |
建替え後 |
建物建築時期 |
昭和30年(1955年)竣工 |
平成11年(1999年)竣工 |
敷地面積 |
19,746.09㎡ |
18,003.51㎡ |
延床面積 |
約12,284㎡ |
約29,456㎡
(内 分譲棟建替え3棟 約12,491㎡) |
建物形状 |
階数・棟数 |
地上3階建 1棟、4階建 9棟
(内 分譲棟 4階建 3棟) |
地上6~13階建 8棟
(内 分譲棟建替え 6、9、12階建 3棟) |
構造 |
鉄筋コンクリート造 |
鉄筋コンクリート増、鉄骨鉄筋コンクリート造 |
住戸の状況 |
総戸数 |
住戸296戸(分譲棟96戸) |
住戸359戸(分譲棟建替え148戸) |
間取り |
2K(区分所有建物) |
1DK~4LDK(分譲棟建替え) |
各戸専有面積 |
38.71㎡~39.64㎡(区分所有建物) |
37.00㎡~100.00㎡(分譲棟建替え) |
総会決議等 |
全員合意 |
事業手法 |
全員合意による任意建替え(等価交換方式) |
仮住居の確保方法 |
民間賃貸住宅等
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補助制度等の利用状況 |
なし |
建替えを必要とした理由 |
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階段室型による上階への昇降が負担になってきたこと |
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管理組合として計画的な修繕がなされておらず、建物の経年劣化が激しかったこと |
・ |
賃分併存(敷地共有)の為、共有部分に対する管理意識の希薄から、団地全体として維持管理が適切に実施できていないことによる団地自体のイメージの悪化 |
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特徴等 |
・ |
分譲・賃貸・社宅の複合団地の建替え |
・ |
区分所有棟のみの建替えは、敷地の共有化の解消等実現が不可能であり、公団賃貸、社宅等を含んだ一体開発が不可避だったが、当初の反応は芳しく無く、一団地・土地共有の解消等模索するも3年間の間進捗しなかった |
・ |
行政より、曽根団地全体の建替えに関しては公団が積極的に関与し推進すべきとの姿勢が打ち出され、公団を中心に関係権利者間の協議が進みだした |
・ |
区分所有者部会、法人部会を設立することにより、情報共有と情報の水平展開を図り、合意形成活動を実施 |
・ |
区分所有建物にも法人所有者が多く、比較的スムーズな合意が図れ、団地全体の全員合意により賃分併存団地全体の建替え事業に着手することができた |
・ |
全員合意による賃分併存団地の建替えを実現できたものの、接道状況や分筆後の位置による評価の是正、道路新設による土地効率の悪化等から最終的には分筆せずに事業を実施。その為、建替え後も賃分併存の状態が継続してしまっている |
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経緯 |
1979年 |
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7号棟建替え委員会の設立 |
1980年 |
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6号棟・9号棟を含めた建替え検討委員会の設立 |
1984年 |
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公団が中心となり団地一体建替えの検討に着手 |
1988年 |
10月 |
分譲棟3棟で建替えアンケートを実施 |
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12月 |
7号棟住宅改善推進準備会が有志により結成 |
1989年 |
2月 |
7号棟住宅建替え推進準備会へ組織改編 |
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3月 |
曽根団地住宅建替え推進に関する決議が採択 |
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6月 |
分譲棟3棟により曽根団地建替え推進準備会を結成 |
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10月 |
団地所有者全体により一棟所有者協議会を開催 |
1991年 |
7月 |
豊中市から日本住宅公団に全体建替要請
第一回曽根団地所有者連絡協議会を開催 |
1993年 |
5月 |
建替え推進準備会が曽根団地建替え推進会に組織を移行 |
1995年 |
9月 |
分譲棟3棟建替基本合意
曽根団地建替事業推進に係る基本協定締結 |
1996年 |
5月 |
等価交換条件・配置計画に関する分譲棟3棟の全員合意 |
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6月 |
曽根団地建替事業実施に係る基本協定締結 |
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9月 |
所有者連絡協議会が曽根団地建替事業実施協議会に組織を移行 |
1997年 |
5月 |
分譲棟解体着工 |
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9月 |
分譲棟建替えマンション本体着工 |
1999年 |
6月 |
分譲棟建替えマンション竣工 |
2000年 |
9月 |
全体竣工 |
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コンサルタント・事業協力者等 |
コンサルタント |
㈱長谷工コーポレーション(分譲棟) |
事業協力者 |
(独)住宅都市整備公団 |
設計 |
㈱長谷工コーポレーション(建替えマンション棟) |
施工 |
㈱長谷工コーポレーション、㈱ハンシン建設 |
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